人と人の間に生まれる矛盾や喜びを
料理とともに考えたい
– Chef in Residence 滞在記 #02 山下由華 –

Chef in Residence

2018年4月、「シェフ・イン・レジデンスが気になる」と問い合わせをくれたのは、三重県伊勢で『cocotte山下』というレストランとパン屋を営む料理人、山下由華さん。

彼女は、まずは神山をみてみたいと、同年4月と8月に神山に訪れ、急がず、自分のペースで神山のことを知り、フードハブのメンバーと出会います。短期間の滞在ですが、8月にはかま屋でディナーのメインシェフを務めたり、与謝野で行われたフードハブのワークショップにも同行しました。

そんな山下さんが何を体験し、何を持ち帰ったのか、そしてなぜ神山にきたのか。シェフ・イン・レジデンスから2ヶ月後(2018 年10月)の、山下さんの手記です。

人の想いのきき方をたどるうちに、
神山を知り、見てみたくなった
〜これまでのことと神山に来たきっかけ〜

はじめまして。
私は伊勢でレストランとパン屋を営む料理人、山下由華と申します。
2018年8月の末に、フードハブプロジェクトのシェフ・イン・レジデンスというプロジェクトに参加する為の準備期間として神山町を訪れました。

シェフ・イン・レジデンスは、神山に滞在し、地域と関係性を築きながら、神山の食材を使った料理を創造していくというプロジェクトで、私が滞在したときはNYから来たイタリアンのシェフが滞在していました。

私が神山を知ったのは、神山つなぐ公社の理事をしていらっしゃる西村佳哲さんのインタビューワークショップに参加し、神山での活動に興味を持ったのがきっかけでした。
最初は、「興味を持った」という事しか言えないくらい、ボンヤリした動機しかなかったのですが、神山を訪れ、帰って来て、日々を過ごし、そしてこの文章を書いてみて初めて点と点が繋がり始めたという感じです。
そんなわけで、まずは私の過去からお話していきますね。

私が料理の世界に入ったのは22年前、新卒で入った会社の人事に翻弄され、全くやる気を出せなかった仕事を半年で辞めてしまった後でした。
もともと就職活動も真面目にせずに、大して将来のことも考えないまま入れる会社に入った私は、その会社を辞めて、遅ればせながら初めて働くことや人生について考え始めたのでした。

私はどうやって生きていくのか?何がしたいのか?そればかり考えて、ようやく3つの譲れない想いに行き着きました。

1. 人生そのものが仕事であること
2. 私でなければできないこと
3. 自分の手で作ること

浮かんではきたものの、そもそも私にはその当時出来ることなど何もありませんでした。
そこで、小さい頃から好きだったこと、気になること、他人よりも得意なこと、を考えてみました。

絵を描くこと、工作、裁縫…1人で自分の好きなように何かを作り上げて行くのが好きでした。でも、その時は1人で仕事をして行くことが想像できず、もともとある職種の中から自分に出来そうな事を選ぶという発想だったので、更に悩みました。その時、母と過ごしたキッチンでの時間が大好きだった事を思い出したのです。

当時は、料理が得意というわけではありませんでしたが、何故か出来そうな気がしていました。というのも、大学時代に1人暮らしをしていた時、母の作っていた料理…肉じゃがとか、ハンバーグとかオムライスなどを思い出して料理すると、教えてもらったわけでもなく、レシピもないのに、毎日見ていただけで、ちゃんと再現出来たからです。

おにぎりは、頼まれもしないのに差し入れする母の定番お節介料理です

とにかくやってみよう、そう思いました。私は、やりたくない事は続けられないのが前の職場で実証済みだったので、続けられるってことはやりたい事なのだろうと思ったのです。
そうやって選んだ料理を仕事にしてみたら、次から次へと疑問が浮かんで、それを知っていく事が楽しくて楽しくて仕方がありませんでした。

最初に入ったホテルのメインダイニングではフランス料理に出会い、「フランス料理って何?」から、「フランス人って普段何食べてるの?」になり、フランスへ渡りました。帰国してからは、「日本で作るフランス料理って何?」「東京のフランス料理と地方のフランス料理の違いは?」「レストランサービスとは?」「レストラトゥールとは?」と、数珠つなぎに疑問が浮かび、気がつけば、8つの地方の8つの店で働き、その間に7つの店で研修をさせてもらってました。

経験を積めば、お金が貯まれば、パートナーが見つかれば、良い場所が見つかれば… いつか独立したいという想いとは裏腹に、経験を積めば積むほど足りないところや甘いところに目が行き、夢は遠のくばかりでした。

そうやって13年が過ぎた頃、理想の自分と現実の自分の間に大きくて深い溝が出来上がってしまい、「もう誰かの下で働きたくないなぁ…」と思い、また無職になってしまいました。

暇だから毎日散歩ばかりしていて、たまたま見つけた本屋さんでついつい手に取ってしまったのが西村佳哲さんの『自分の仕事をつくる』(筑摩書房 2009)という本でした。

料理を始める前に考えた「3つの譲れない事」をその本を見てまた思い出したのです。
とは言え、気力が尽きて無職だった私には、その本の内容が痛くて痛くてチクチク突き刺さる感じで、なかなか読み砕く事が出来ないままでした。

でも、「自分の仕事をつくる」というフレーズに勇気を少しいただき、「何も揃ってないけど、ゼロからでも、自分1人くらい食べさせて行かないと!出来ることは料理しかない」と、腹をくくる事が出来、地元である伊勢に帰って自分の店を開いたのが8年前のことです。

1人で始めるはずだった店には、いつの間にかスタッフが加わり、5年前にはパン屋も開き2店舗になりました。
自分の店を開いてからも、自問自答は続いていて、最初の頃は他のシェフの料理や他のお店のスタイル、他の経営者の考え方を参考にしたりしていましたが、だんだんと”違うんじゃないか?」と思うことが増えてきました。

どこかの誰かがやっているやり方は、私やウチのスタッフ達には合うかもしれないし、合わないかもしれない。
人は思っていたより繊細で複雑で様々だと思うようになり、まず自分、そして目の前にいるスタッフ達のことをもっとわかりたいと思うようになりました。
どうしてできないのか?どうしてそうなるのか?「本当にしたいことは何?」「言ってくれたら良いのに…」「言った事と違う」とか…。言葉にならない(できない)想いに耳を傾けたかったのです。

そんな時、『自分の仕事をつくる』の著者、西村さんがインタビューのワークショップを主催していることを知り、「ここにヒントがあるかも?」と思って申し込みました。

でも、その時はとある事情でその年のワークショップには参加できず、ご縁があり参加できたのは2年後の去年の夏でした。

初めに申し込みをした時から時間が経っていたので、私の「わかりたい熱」は少し冷却され、人それぞれの想いをより繊細により深く感じ取れるようになりたいという気持ちに変わっていました。そして、ワークショップに参加することにより、人の心の中の景色をたどる聴き方を学び、同時に自分の心の景色を見に行く道しるべをぼんやりとですが見つけることができた気がします。
そうやって私は、私の仕事って何だろう?もっともっと源泉に近付きたい。と思うようになりました。

ずっとフランス料理を追いかけて来たけれど、私の料理の原点は母とのキッチンでの時間だった事を思い出し、最近ジャンルに縛られない料理を作りたい欲求が出て来ていています。そういえばお母さんの料理って何でも有りだなぁって思い当たり、それも源泉に近くなっていってる過程かなと思っています。

それと並行して、人と働くことの中で私の料理は育っていくのではないか?と思い始めたのです。もともと1人ですることが好きだった私が、人と触れ合うことで分かり合えない歯痒さを知り、分かり合えないからこそ思いやりたいという気持ちを抱くようになり、料理を作って人に食べてもらうことの本質って、もしかしたらそこなのかもしれないと思い始めたのです。
私は料理人を生涯の仕事にしたんじゃなくて、料理を通して人を知っていくことを仕事にしたんだなぁ…と。

そんな時、神山町での取り組みを知り、あの西村さんのように、人の想いを誘導せず、耳を傾け、一緒に味わうようなきき方が組織の中に行き渡っていれば、それぞれが影響しあって良い環境が生まれているんじゃないかと思い、自分でもそれを実践してみたかったのと、神山町がどんなことになっているのか見てみたかったので、行くことにしました。

知らない人達と、そこにあるもので料理をしたい。
なのに、いつもの料理をいつものように
作ることしか出来なかった…。
〜神山に訪れてみて〜

かまパンから見えたダブルレインボー

実際に神山町を訪れてみると、考えさせられることがたくさんありました。
まず、働く意味について…。
神山町でのものづくりは、やりたいこと、意味のあること、人が喜ぶことと経済的に循環することを全て叶えて行くことを目指すものづくりのように見えました。
日々の仕事の中で、すり減ってしまったか、忘れてしまっていたこと。そもそも無意識に諦めていたのかも…。
でも、そこ、目指し続けたいよね…という気持ちが蘇って来て、まだまだ考える余地があるなぁと改めて思いました。

今まで流れるように消費してきた食材や調味料、器具、人材に至るまで、そこで作られる意味やその人である意味、それでなければならない理由を見つめなおし、本当の新鮮さを追求したいなぁって思いました。料理の鮮度は、食材の鮮度だけでなく、作る人、提供する人の気持ちの鮮度も含まれると思い、よりフレッシュな気持ちで料理するためにも、自分の仕事の意味をしっかりと考え直さなければ…と思いました。

夜営業の準備をするかま屋

今年に入って働き方を大きく見直したのですが、同時にメニューの見直しもしないといろいろな歪みが出て来たタイミングでもありました。スタッフ達のスキルアップも視野に入れて私は神山に訪問したので、そのフレッシュな気持ちのまま、メニューをより充実したものに改変できました。
メニューというのは、表に現れる食材や調理法だけでなく、そのメニューである理由や意味などをしっかりと共有することは大切な事だなぁと、かま屋さんで気付かされました。

それから、かま屋さんで影響を受けて私の中で大きく見直した点は、調味料です。

かま屋さんの週末の夜の居酒屋営業で、土曜日の夜のメニューを作らせていただいたのですが、普段から作り続けている料理が調味料一つでこんなに違うのかと、驚き、翻弄されたのが忘れられない体験でした。
その日は、作るもの作るもの全て塩が効き過ぎて、オープン前に「もうだめだ!逃げたい!」と思ったほど苦しみました。
22年も料理をやってきたのに、何してるんだ私は!と愕然とした時、「みんなそうですよ。どんな料理人も一緒です」と料理長の細井さんががかけてくれた言葉が沁みました。

そして、キッチンに立っていた加地さんがサッと藻塩を手渡してくれてハッとしました。
「藻塩はもったいなくて沢山使えない」
って、どこかで思っていたのです。
今までは特別なお塩は大切に少しずつアクセントに使うようにしていたので、藻塩を日常に使うことに抵抗があったのかもしれません。
知らず知らずのうちに、働いてきた環境から受けた影響ってあるのですね。味わいではなく希少さや価格で判断していた自分に気が付きました。

伊勢から離れて、自分の事を誰も知らない土地で、知らない人達と、そこにあるもので料理をしたい。そこで私は何を作り何を思うのか?そんな思いもあり、神山に行ったはずが、結局はいつもの料理をいつものように作ることしか出来ないんだなぁ…と、思いました。

人はやりきった時ああいう顔をするんだ
〜京都・与謝野でのワークショップ〜

そんな中、京都の与謝野での地方創生の一環で、フードハブが行うワークショップに同行させてもらう事になりました。

そこで初めてNYから神山にシェフ・イン・レジデンスで来ていたイタリアンのシェフ デイブの料理を体験したのです。
与謝野町の食材を使って、現地で仕上げるデイブの料理は、紛れもなくデイブの料理なんだなぁ…って思いました。知らない土地だからとか、言葉が通じないとか、設備が…とか、そんなことは吹き飛ばして、手間と時間がかかっても炭火にこだわることとか、香りを重ねていくこととか、手でちぎって手で混ぜることとか…とにかくデイブの料理は繊細でワイルドで楽しい!そんな印象が強く残りました。

写真提供:浜田智則、雛形

そして、終始アンニュイだったデイブの、料理を出し切った時の晴れやかな顔が忘れられません。人はやりきった時ああいう顔をするんだなぁって思いながら、料理を美味しそうに食べる人達を眺めて幸せな気分に浸りました。

そして、その夜フードハブ・プロジェクトの真鍋さんと少しお話した時、彼は言いました。
「一人称で話すこと」
誰に向けての言葉か最初はわかりませんでした。
私はずっとずっと一人称で話して来たつもりでしたから。
もしかして私のこと?と気が付いたのは少し後になってから(笑)。

神山町としばしの別れ
伊勢に持ち帰ったもの

神山町を訪れた動機は、一言でも一筋縄でも表せない。私の中では過去から現在、未来に向かっていく道のりの途中である。それは未来が見えているようで実は不確かな様子に似ていて、ぶわぁ〜っと広がり過ぎて人には伝わりにくい。そんな現在進行形の動機を身体いっぱいに詰め込んで、私は神山に行ったので、真鍋さんも不思議に思ったのでしょうね。
自分の中では辻褄が合っているつもりですが、人に説明しようとなるともうあちこちに散らばって収集がつかない状態でした。

まずやってみる!理由は後付け!という私に、別れ際、真鍋さんはまた言いました。
「違和感が無くなるくらい、神山に来てよ」
これもまた意味がわからなかったのですが、反芻しながらの帰り道…。
「あ、違和感あったんだ、私」
と、またまた遅れて気が付きました。

そんな鈍い私ですが、神山から伊勢に帰ってすぐに取り組んだのが、スタッフ達と地元の農家さんを訪ねて直接野菜を分けてもらうようにしたことと、それに伴うメニューの見直しです。
かま屋で交わされていた皆さんの会話が印象に残っていたからです。
「この南瓜、誰の?」「あぁ、これは◯◯さんのところ」 というたわいもないやりとりでした。

でもコレってたわいもなくない!って思ったのです。フードハブプロジェクトで働く人にとって、この南瓜は私が知ってる南瓜ではなく、◯◯さんの南瓜なのです。きっと話しながら、◯◯さんの顔や畑の風景も思い出していたのだろうなぁと、羨ましい気持ちになりました。うちのスタッフ達もそうなるといいなぁと思います。

伊勢 cocotte山下 http://ise-cocotte.com/

そして、フードハブ・プロジェクトで働く人達の抱える問題についても少し考えるようになりました。人が考えたことには必ず矛盾が影のように寄り添っていますが、問題や不具合が起きた時、システム化したり規則で縛ったりするのではなく、その時その時にきちんと向き合ってちゃんと傷を負って手当てして、っていう事を積み重ねていくことが、続けるということなのかなぁと思うのです。
フードハブ・プロジェクトのシェフ・イン・レジデンスに参加出来るとしたら、私は継続的に人と人の間に生まれる矛盾や喜びを料理とともに考えたいと思います。

長くなりましたが、今の居所です。
ありがとうございます。

(2018年10月15日、山下由華)

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