田畑で過ごした幼少期

つなぐ農園育てる

農業長の白桃です。今回は私が子供の頃の話をしたいと思います。

 私は小さなころから、今では珍しい大家族でした。1番多いときには、「曽祖父、曾祖母、祖父、祖母、父、母、叔母さん、妹」の9人家族でした。

すだち畑で曽祖父と

 祖父、祖母は苗木の生産、野菜づくりを、父は苗木、お米、花卉の生産をしている農業一家です。そのため、保育所にも行かずに、幼い頃から、祖父、祖母にベビーカー代わりの収穫用コンテナにいれられて田畑に連れて行かれていたそうです。そこで、物心がつく頃には、野菜を収穫したり、木を掘ったり、すだちの収穫出荷をしたり、小型耕運機を使ったり当たり前のように日々そんなことをしながら遊んでいました。

祖父と米の苗立ての準備

 また、小中学校の頃には、両親から「学校から帰ったら花の収穫をしておいて」と、既に作業要員として当てにされていたことを覚えています。手伝うとお小遣いがもらえるのですが、正月前などの高く売れる次期には、花を折ると1本につき、罰金100円をお小遣いから引かれていました(笑)。その頃には、ショベルカーに乗って山を作って遊んだり、クレーンでブランコ遊びをしたり、トラクターで田んぼを耕したり、本物の農機具を使って遊ぶのがとても楽しくなっていました。

 私は、大学時代に東京農業大学で樹木の植物生理について学んだりしていたことはありますが、卒業してすぐに役場に就職したので、職業として農業をした事はなかったのです。しかし、今は日々、農業チームのみんなや研修生のまっちゃんと一緒に田畑に出て農作業をしています。その中で、農業機械を使っての作業、すだちの出荷作業、ショベルカーを使った圃場整備など、今までやったことがある作業やどこかで見たことがあることが多々あります。年明けから今まさに取り組んでいる、神山に無い野菜を安定的に作り、新規就農者の収益の柱としてのモデルになるべく建築しているビニールハウスの建築も、小中学校の時、父に手伝わされたハウスの修理やビニールの張替え作業を手伝っていたからこそ、少しアドバイスをもらうだけで、自然と手が動かすことができるんだと思います。

 今フードハブ・プロジェクトが作り上げようとしている新規就農者が学ぶ環境づくりにおいて役立っている農業の知識は、家族と一緒に田畑で過ごしていく中で、知らず知らずに教わり、身についてきたことだったんだと思います。そんな幼い頃の体験があったからこそ、怖がらず違和感なく、やってみようと1歩を踏み出すことができているのでしょう。

神領小学校の1年生と野菜の収穫

 この原稿を書きながら、今町の子どもたちとやっている「食育」は、私と同じような経験を子どもたちに経験をしてもらう事なんだと、再認識することができました。子供たちが農業に関わることが原体験になって、自分ごととして農業にか関わっていくきっかけや素養を知らず知らずにつけてあげる。それは、フードハブ・プロジェクトがめざす「農業をつぎの世代につなぐ」ことに、将来繋がっていくことなんだと思います。

この日誌を書いた人

白桃 薫

フードハブ農業長/神山つなぐ公社 のうぎょう担当
白桃 薫 (しらもも かおる)

農業長。神山町出身。一般社団法人 神山つなぐ公社所属。神山町役場の職員として11年間勤務。暮らしや仕事中で、日々神山の農業に対して危機感を抱いていた。神山町の地方創生ワーキンググループで考えたフードハブの原案に「これしかない」と思い実行を決意。現在は、神山つなぐ公社の、のうぎょう担当として立ち上げに参画し、実際に田畑に出て農業に取り組んでいます。

その他の活動

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